サラリーマン時代
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入社して5年目までの、オフィスで働いてサラリー(事務労働の給料)をもらっていた文字通りスーツを着て仕事をするサラリーマン時代の話をします。
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経理として就職して、雑用と伝票を処理する仕事を半年ほどしていましたが、
業務内容をさらに理解するには本社から別の事業所で現場に近いところの伝票を処理した方が勉強になるということで修行ということで別の事業所に行くことになりました。
別の事業所で金庫番かつ請求書の処理を行う、まあその事業所の経理みたいなことをしていました。
会社内では日商簿記1級をもっている自分が社内の人のどんな人達よりも経理の知識があるので、入社2年目ですでに入社10年目とか言われるくらいバリバリ働いていました。
取締役と部長を集めて経理の講習会みたいなのを開いたりもしていて、取締役も各部長も自分のことをかなり評価していました。
自他ともに認める間違いなくエリート出世コースだったでしょう。
そして、入社3年目、つまり入社して2年が過ぎた頃です。
これだけ1年間エリート出世コースで残業もかなりして会社のためだけを思って全力でぶつかってきたから昇給もきっとすごいことになっていると確信しました。
そして、昇給した月の給与明細を見るとスズメの涙程度の給料しか上がっていませんでした。
人事に電話して、「俺こんなにがんばってきたのになんか間違えてませんか?」と問いただすも「給料が気にくわないなら別の会社を考えるしかないね」という冷たい突っぱねを受けてひどく落ち込みました。
そして言葉は悪いですが、特に目立った活躍をしなかった平凡な同期の給料明細を見せてもらえる機会があって、それを見ると私よりも昇給していました。
どうやらどんなに頑張っても専門卒の人間は給料が昇給しにくいことがその時点でわかりました。
入社した会社は100年以上の歴史のある会社なので、昔ながらの年功序列ということでしか人を評価しないようです。
つまり、専門卒で能力のある私は、大卒有利で能力を評価しない年功序列という会社の制度とミスマッチも甚だしかったのです。
(職能給という能力を評価する金額は入社10年目の今でも大卒の新入社員のものより安いです)
この時点で仕事へのやる気が一気に失せました。
そして仕事してもしなくても給料の伸びが同じなら、いかに仕事をしなくて済むかを追求するようになりました。
もちろん仕事しないだけでなく、今後を見据えて余った時間で資格の勉強をしました。
今まで残業してまで無理して引き受けていた仕事を「できません!」と断ったり、二重チェックをしていた部分を1回のチェックで済ますようにしました。
相手に分かるように付箋にメモ書きとかもよくやっていましたが、それも時間の無駄になるのでやめました。
出来る仕事も「それはちょっとよくわからないんで私にはできないです」と言って断りました。
ちょうどこの時期に19歳くらいの時に読んだ「金持ち父さん、貧乏父さん」の本の話を思い出すようになりました。
つまりは、自分が労働して産み出すお金には限界がある、勝手にお金を産み出すシステムを自分で作れ。ということです。
本の中では不動産を貸すことで人生を自由にしたという紹介がされていますが、私たちにはそんな不動産を買うお金はありませんので別の方法を探すしかありません。
もちろんお金を貯めて何百万というお金をつぎ込んで不動産を買うのも手だと思いますが、そこまでリスクが高いことはできないと思いました。
まあ22歳~25歳くらいは色々やってみましたね。
・株の売買
・貴金属の売買
・転売
・FX
・ネットワークビジネス
・情報商材
特にネットワークビジネスは一般的にねずみ講と呼ばれているような販売業種ですね。
よく知らない人は知らない方が幸せに生きられるので調べるようなことはしないで下さい。
具体的に人を勧誘する前に辞めましたが、講習会で営業的な知識が手に入ったのは今でも大きいと思っているので色々やってみて良かったなぁと今でも思います。
ネットワークビジネスは必ず一番下の人が被害をこうむるところに悪い点があります。
だからみんな我さきと自分が先に上に上がることに必死になります。
そういう他人を押しのけて、そして一番下が被害をこうむることに目を瞑って見ないふりをする手法に何の意味があるというのでしょうか。
例えば、その被害を受ける人が自分の家族、兄弟だったとした場合、どれほど悲しいことでしょうか。
力の使い方は良い方向にも悪い方向にも使えます。
筋肉は良い方向に使えば警察、悪い方向に使えば暴力団です。
だから、本当に良いことをしてそこから得られるお金で無いと意味が無いと私は思います。
家族や友人、恩師に胸を張って言える活動で無いと力の無駄遣いです。
相手が傷つくことを考慮しないやり方でお金を稼いでも良いなら私はオレオレ詐欺を確実にやっていると思います。
でも、こういう悪いお金の稼ぎ方に直面したことでこういう考え方を持てるようになったので色々やってみてよかったなぁと思います。
まあ、そんな感じで働かなくてもお金を得る方法を模索していました。
結果的に、貴金属の売買でプラス50万円、株の売買でプラス100万円発生しました。
上の2つは運が良かっただけです。
そして、結局自分が相場を見て売買や手続きをしないといけないので真の意味での働かないで得られるお金ではないので今は手を引いています。
そういうことをやる一方で、将来的に何か自分で活動したいと思った時に社会のルールを知らないといけないので、法律も勉強しました。
・民法:社会の基本的なルール
・刑法:逮捕される基準を知る
・商法:特定の業種に適用される
・憲法:刑法の根底にある考えも記載されている
・特定商取引法:ネット販売など、新種の販売形態を規制する法律
・労働三法:労働基準法、労働組合法、労働関係調整法のこと。
特に民法は読むのに丸々1年かかったので本当にきつかったですが、そのおかげで今はわからないことがあれば過去に勉強したノートを見直せば民法的な問題は解決できると思っています。
法律を勉強することで、世の中で何が起きているのか理解するのに本当に役に立ったと思います。
社会人としてワンランク上の人間になったという実感がとてもありました。
自分で何かをするには経理、営業、製造という3つが要求されていると思っているのですが、
経理は学生時代に、営業はネットワークビジネスの講習会で知識を得ているのであとは自分が何をして生きたいかという製造部分が足りないことがわかりました。
25歳になる頃に、別の事業所での4年の修業が完了したということで本社の経理に戻ることになりました。
経理に戻ると激務が待っていました。
今まで自由な時間を作って成長できる時間を作っていた頃に比べると、本当に何も勉強出来ず、人としての成長はほとんどなく、毎月同じことの繰り返しでした。
特に22歳から25歳までに劇的に色んなものに取り組んで成長した期間に比べると何も進歩しない生き方がとてもつらかったです。
帰り道に泣きながら歩いたこともありました。
そのつらい時期に、経理の先輩にひどい言われ方で罵声を受けた時に決心しました。
「この会社辞めよう」
全ての仕事を投げ出して、会社を無断欠勤しました。
無責任と言われようが、社会人として成っていないとか言われようが会社を辞めようと思っている人間にはそんなこと何も関係ありません。
責任感があれば仕事続けているだろうし、社会人として失格だから無断欠勤したわけで、それらのテンプレート的な反論は反論として不十分ですね。
「お前が急に休んでせいで俺の仕事が増えただろ、ふざけんな!」と言われた方が私としては「すみませんでした」と言える気持ちになります。
25歳の7月の終わりごろだったのを今でも覚えています。
これで間違いなく会社クビだなと思いました。
無断欠勤した時は、公園に行って青空を眺めて見たりギターを弾いてみたりしたことも覚えています。
そして、何か働かなくても収入を得る方法をやらなくてはと思い、ホームページを作成することを始めました。
アフィリエイトというものです。
そして、この25歳の時に始めたアフィリエイトは29歳の今でも継続して行っています。
これは誰も傷つく人がいなく、元手も必要ないのでリスクがほとんど無く、そして本当に全くのほったらかしで収益を産み出してくれるので真の意味での不労所得です。
結局人事の人と話して、別の事業所で働いていた時のとなりの部署の工事部の方で自分の働きを知っていた部長が工事部に入れてもいいという話があって、工事部に行くことになりました。
~工事現場監督時代に続く~
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