学生時代
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高校と専門学校の時の話をします。
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始めに私がどういう人間で、どういう経歴なのかを紹介したいと思います。
高校は偏差値58とかの進学校で360人くらいいる学年で成績は17位くらいとかの割と勉強できる方でした。
指定校推薦という確実に大学に行ける切符を割と自由に選べる立場で早稲田大学に行こうかななんて思ってましたが、直前になって親が私立の大学に行かせるお金が無いということを言われ、4年も勉強したくないなと思って専門学校に行くことにしました。
高校生でしたので、何をやりたいという具体的な動機もなかったので、親が簿記というものを進めるのでその方針の学校を探すことにしました。
偶然友達が簿記の学校に行くと言うことを聞いたので、1人でいくよりマシだな程度でその友達と同じ簿記の学校にいくことにしました。
勉強ができる自信があったので簿記の専門学校ではわりとだらけて勉強していましたが、ほんの1ヵ月でクラスで間違いなく最下位の成績になってしまいました。
クラスはAクラスとBクラスというのがあって、Aクラスは簿記経験者か成績優秀者、Bクラスは成績が良くない人というくくりで、自分は高校の成績が良かったのでAクラスでしたが、逆に教えるスピードが速いのでそれがあだとなりました。
勉強ができないと、クラスの人とも勉強の会話ができないので孤立していきます。
クラスの人はもちろん、先生も勉強できない自分にひどい対応を取るようになりました。
高校時代の友達も自分の勉強で必死なので、私を助けるようなことはしてくれずに薄情さを感じましたが、それを責めるつもりもありません。
ここで社会の縮図を知ったような気がします。
何も学校だけでなくて、世の中でもこういうことが起きているのはすぐにわかりました。
だから、私は「差別に合わないように色んなことを誰よりも早く知らないといけない」と当時思いました。
その専門学校では、大学生が4年間で取れるか取れないかくらいの合格率10%の日商簿記1級という資格を1年で取得するというスパルタ学校でした。
1年目で受からないと2年目は就職に向けての勉強に移ってしまうので、実質それでおしまいみたいな感じでした。
私は8月の夏休みまで毎日黒板に書かれたわけのわからない暗号をノートに写すだけの作業をしていて本当にきつかった記憶があります。
8月からの夏休み明けからまた1から教えていくということだったので、AクラスからBクラスに移るようにお願いしてそこから再出発しました。
クラスを移る人は自分だけだったので、夏休み明けから謎の人が1人クラスに加わっているのでまわりの人もびっくりしたでしょう。(みんなの前で自己紹介とかそういう時間は設けられません!)
でも、その学校では徹底的に孤立してやろうと思っていたので、ちょうどよかったです。
8月から初めて簿記の内容がわかるようになり、毎日12時間必死に勉強しました。
孤立してやろうと思っていたのですが、周りの人達がAクラスには無い優しい人達が多く、いくらか友達も出来ました。
そして半年後くらいの日商簿記1級の試験に合格しました。
多分、学校の中で一番成長著しい生徒であったでしょう。
就職活動は2社目で東証一部上場会社に合格したので、そこに就職することにしました。
上場している会社の経理は有価証券報告書という書類を作るなど経理としては一番スキルアップできる環境であることは間違いなかったので、この選択は今思い返しても間違いではありませんでした。
ちょうどこの19歳くらいの時に友達に借りた「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで、不動産がお金を産み出してくれるので自分は働かないで自由に生きられるという考え方を知りました。
~サラリーマン時代に続く~
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